「 第29回 豊田市民総合体育大会 『拳士の思い』 」

    【修行の成果を実感した出来事】 S.Y.(59才)

    私が少林寺拳法を始めたのは、今からちょうど14年前の2010年7月。45歳の時でした。
    きっかけは、当時吸っていたタバコを止め、その浮いたお金を何か健康的なものに使おうという
    発想から、近所に道場があった少林寺拳法を学ぶことにしたのです。まさに40半ばの手習い。
    入門初日には、先輩拳士から作法や「レの字立ち」、突き蹴りを学びました。握る拳に力が入り
    過ぎていたのか、翌日、人生で初めて指が筋肉痛になった事が思い出されます。

    さて、私は今年の1月に盗撮犯を捕まえました。
    混雑する電車内で、その男は女性のスカートの中をカメラで撮影をしていました。
    私はその時、週末の新春法会で門信徒代表として口上を読むことになっており、その原稿を
    スマホで繰り返し読んでいました。そんな時、目の前の人の動きに違和感を覚えたのです。

    最初は本当に盗撮しているのかどうかわからず、「まさかな…」と半信半疑でしたが、
    車内で人の流れが変わった時の犯人の動きで、疑いが確信にかわりました。門信徒代表のおかげ?か、
    気持ちが少林寺拳法モードになっており、心は意外と落ち着き、犯人を確保しなければという気持ち
    が沸いてきたのです。どのタイミングで犯人に声をかけようか?逃げたりされないか?暴れたりしないか?
    凶器を持ってないか?被害者はどうする?・・・色々な思いが頭の中を巡りながらも、
    「自分は、少林寺拳法の拳士だから何とかなる」みたいな、漠然とした安心感みたいなものがありました。
    実際には、犯人の気持ちを高ぶらせないように、また逃げ場が無いように、電車が駅に到着する少し前に
    盗撮していたカメラを取り上げ、「これは何?」と静かに声をかけ、駅長室へ連れていき警察へ連絡するに至りました。

    もし少林寺拳法を学んでいなかったら、目の前の犯行にも、見て見ぬふりをしていたかもしれない。
    犯人と対峙する勇気は無かったのではないかと、後になってあらためて思いました。
    実際、犯人を私が確保している最中に、手伝ってくれる人は皆無でした。

    開祖の言葉に「人、人、人、すべては人の質にある。すべてのことが人によって行われるとするなら、
    真の平和の達成は、慈悲心と勇気と正義感の強い人間を一人でも多く育てる以外にない」とあります。
    自分は少林寺拳法を学ぶものとして、ほんの少しだけ開祖の教えを実践出来たのではないかなと思います。
    今回「拳士の想い」に手を挙げたことがきっかけで、改めて少林寺拳法で学んでいることを振り返ってみました。
    絶対的に不変なものは「人づくりの行」であるということです。易筋行、鎮魂行を通じて心を強く豊かにし、
    自分だけでなく他人も豊かにする。「半ばは自己の幸せを。半ばは他人の幸せを」の言葉の通り生きていけば、
    身近なところから世界の平和と福祉に貢献できるんだという確信を得ました。

    これからも少林寺拳法を学ぶ者として、より一層「自己確立」「自他共楽」の修練に励み、生涯修行として
    取り組んでゆきたいと思います。