【 亡き父、介護に追われる母へ感謝 】 S.K.(?才)
2008年に入門し、四年が経ちました。
その頃の私は、自分の足の障がいと向き合えず、発達障がいの息子も、周りに理解してもらえないと嘆いてばかり・・・。
人が嫌いで、信じられる人はいないんだと思っていました。
しかし、ふと気づけば、「今日も送って」と、週2日必ず道場に行く息子。
体調を崩して入院しても、点滴を外して道場へ行きたいという。登校拒否をしていた時期も修練だけは行く。
「どうしてなんだろう・・・?」と不思議に思い、ある日の修練時間にずっと付き添ってみました。
そこで目の当たりにしたのは、温かい笑顔の先輩方、輝く瞳で「大丈夫ですよ、やってみましょう」と声を掛けてくださる道院長。
寒い冬なのに、心は温かい。この道場は、私にとっても安心できる居心地のよい空間かもしれないと感じ、入門を決意したのです。
大の人見知りだった娘も、自分の意志で一緒に入門したのも今思えば不思議でした。
しかし、いざはじめてみると、科目表に書かれている言葉がとても日本語には思えない。読本も内容が理解できない。
不安がつのる中、道院長や先輩方のご指導を信じて、コツコツと修練を続けました。
時には足が痛み、連日鎮痛剤を飲みながら修練を続けた時期もありました。医師からもやめるよう再三注意されました。
しかし、みんなに会いたい、ここに居たいと必死でがんばり、初めての昇級試験では、相手の方とアザだらけになりながらも、
茶帯を手にすることができ、帰宅後に嬉し涙が流れました。
安座だけは関節が上手く動かないので、鎮魂行などはいつも着座でやっています。
そんな様子を、初対面の子ども達に不思議がられたりもしますが、笑って自分の障がいを話せるようにもなりました。
冬寒く夏暑い道場で月日を過ごして鍛えられたせいか、今はむしろ通院も減り、同じ障がい者仲間に不信に思われるほど活発になりました。
そして、元気に登校する中学生の息子、努力家の娘、そしてシブシブながらも3人の修行を見守ってくれる優しい夫と笑顔で過ごしています。
私が大好きな言葉は「力愛不二」
幸せに生きてゆく為に、苦しむ人を助けたいと思う慈悲心、実行できる勇気や自信を調和して、ひとりでも多くの人を笑顔にしてあげたいです。
今は、支えてくださった多くの方への恩返しとして、
月の半分をボランティアやお年寄りの方のお相手、市内の子ども園、小、中学校に、読み語りに行っています。
そこでかけられる「ありがとう」「また来てね」の声に、ますます張り切ってしまいます。
私は世界一、下手な黒帯かもしれないですが、人生を楽しみ、あきらめないことを教えてくれた仲間、
早くに他界した最愛の父、私を生んでくれた母、全ての周りの人へ感謝を捧げ、この先もがんばります。
ありがとうございました。