【中拳士三段を受験して】 A.T.
【初段を受験して】 K.K.
【昇段試験の感想】 S.K.
《受験前・・・》
今年初め、新年の抱負で自己の変革を真剣に唱え、三段受験も積極的に決意していました。
また、4月から内容が変わるとも聞いていたので、従来方式での最終試験3月に何とか受験できればと考えていました。
ただ、二段をほぼ1年前に受け武専短縮を加えての最短受験となるため、ギリギリまで受験資格が確定されなかったのです。
このような状況下、道院長から「まだパソコン画面にあがってこないから、受験できるかどうか未定です」の言葉を、
勝手に「3月受験はやめておこうか」と自分の都合のよいように解釈し、悔しい反面「まあいいか」と甘えた気持ちになり、
修練や学科勉強の進捗をつい疎かにしてしまったのです。
3月初めに「名簿があがってきたから受験できますよ」と聞かされ、慌てて準備を急加速する羽目になってしまいました。
科目表を頼りに通勤時間の駐車場で技の理解度を確認し、仕事も時間をやりくりしフレックス早退を活用して宿題を進めました。
週3回の参座では、同志に手伝ってもらい技の総復習。試験直前には、普段から親しくさせていただいている刈谷北のK先生と、
愛知高上のT先生が参座され、独り占めの指導も受けながらの追い込みとなりました。
《考試当日・・・》
今回の考試は予想通り駆け込み受験者が多く(私もその一人ですが…)、学科や宿題の採点に時間がかかり合否発表が遅れていました。
発表時間は、武専の本科2年の修了式に出席しており、直接聞けませんでしたが、同日受験の少年拳士が観覧席から○のサインを送ってくれました。
正直、ドタバタのヒヤヒヤ受験でしたが、修了式と同時に三段の合格も知ってまさに感無量ぉぉぉ〜!!でした。
《振り返って・・・》
受験資格が直前まではっきりしなかった事に甘え、自己研鑽を怠った結果、今回は会社の同僚や、道院の拳士達、他道院の先輩拳士、
道院長と多くの方々にご迷惑をお掛けしました。振り返れば、まさに「己こそ己のよるべ」を失念したが故に、周りに迷惑をかけたことを実感しています。
本来、昇格考試は特別なものではなく、日頃の研鑽の結果を問われる場所だったはずにも関わらず、受験用の特別な諸策が必要だったことを思うと、
日々の修練への取り組みが、いかに受身かつ一過性のもので終わっていたかを痛感しました。行動する事は大切ですが、行動が単なる行動で終わってしまい、
その「内容」や「質」まで踏み込んでいない中途半端なものだったのです。
そんな中途半端な自分でも、何とか合格できたのは仲間の支えがあったからこそと思います。
自分が怠けそうになった時、叱咤激励してくれる道院長や他道院の先輩拳士、修練をサポートしつつ本気で心配してくれる道院の拳士達がいました。
仲間たちのおかげで合格でき、ささえられ、いかされていました。受験後、鎮魂行の中でふと気づいた事があります。
信条に「理想境建設に邁進す」とありますが、理想境とは場所ではなく援け合う仲間達のことなんだと・・・
最後に、道院長、ならびに愛知朝日道院の拳士の皆様、そしてK先生、T先生、本当にありがとうございました。
これからは、内容や質の伴う修練と行動をするよう心掛けてゆきます。
ぼくは3月20日に昇段試験を受けました。練習はたいへんでしたが、一生懸命がんばりました。
そして見極めの模擬試験後、先生から「このままがんばれば、きっと受かるよ」と言われ、びっくりして期待と不安で胸がドキドキしました。
試験当日…
みんなが名前を呼ばれグループ分けされる中、ぼくとお母さんは最後まで呼ばれず立っていました。
自分も考試員で忙しいであろう道院長がぼく達を見つけてくれて、大慌てで担当の先生に連れて行ってくれました。
そこから担当の先生に連れて行かれた会場には、目の不自由な方とダウン症の人がいました。
ぼくはアスペルガー症候群、お母さんは下肢四級の障がい者です。事前にそのことを道院長から伝えてもらっていたのですが、
どういう障がいかが正しく伝わらなかったのだと思います。正直、ぼくは差別されたと感じました。
でも気を取り直してがんばった結果、試験に受かり良かったです。宿題もお母さんと同じ「優」をもらえました。
これからも、道院の仲間と一緒に精一杯がんばっていきたいと思います。
「出来ないんじゃない、やろうとしていないだけだ」「宿題なんかしなくていい、今はいっぱい外で遊べ!」
数年前、ある道院の先生から聞かされた言葉。「生きている事をしっかり感じなさい」の言葉は特に今も心に深く残っています。
入門時、体や足の悪い私に、母や医師、友人達は大反対…入門後「動かない体、ついてゆけない」と自分の体を悔やんだ私…
時に息子へのいじめ、娘の病気、家族を支える為に必死の仕事との両立。しかし私は何故?何年もこうして修練をしていられるのか、
つらくても笑っていられるのか?自分でもその理由がわからないまま続けていたのです。
そして、見習〜三級〜一級へと危なっかしくも前進した私。振り返ればどれほどつらい生活の中だったか…
でも、道場へ行けば厳しくも優しく指導してくださる道院長、気持ちを読み、優しく接して下さる先輩方、
元気に響く子ども達の声に自分も触発される。そんな心のケアをしてもらえる道院だったから、今の私がいる事に気付かされたのです。
だから、逃げたい程の大会も試験も、練習相手をしてくれる人、組手をしてくれる人がいる。一人ではない自分がいる。
自分も相手を思えばこそ、「迷惑な人になりたくない!」と下手なりに必死にがんばりました。
初段へ向けての日々は「道院長に恥をかかせてしまう…私など受けてよいの?」とずっと不安を抱えて過ごしました。
家の中や仕事場に演武や技の名前を貼りつけ必死で覚え、夜中に家族が眠ってから読本を書き写し頭へ入れる日々。
試験直前には、体調不良での通院まで重なって…正直泣けました。しかし、過去に車イス生活経験がある私には、
立ち上がる精神だけは身心に刻み込まれていたようです。試験当日には「自分に負けず、やれるだけやろう!」と不思議に心は落ち着き、
試験が始まってからは「当たって砕けよう!」と、むしろすがすがしく晴れやかな気持ちで臨むことができました。
息子と先生と向かう電車で笑顔、合格した後の帰る電車は朝よりもっと笑顔…の一日でした。
帰宅後に合格を家族に報告。ずっと反対し続けていた母も「おめでとう」と言ってくれました。
夫も小さな声で「よかったね…」と言いつつ(夫に隠れて学科や復習していたせい?)私と息子の合格をたいへん驚いていた様子です。
今、心と体が活きている私、あきらめない修行を通じて、幸せは自分の手でつかみとるものなんだと気付かされました。
道場で五体満足な子ども達が「できない〜!」と言う度、「やろうとしないからだよ」と自信を持って言える私は、
今、黒帯の刺繍の色をどうしようか、息子と楽しみながら悩むという幸せな時間を過ごしています。
今後も永続して憧れの先輩方、道院長のような温かい人を目指したい。
私の周りの全ての人達に感謝します。