「 第28回 豊田市民総合体育大会 『拳士の思い』 」
【今、自己確立、自他共楽に思う】 K.A.(36才)
1992年、今から31年前、私は少林寺拳法に入門し、保育園から中学生まで7年間続けました。
始めた理由は、クラスで意地悪をされていた私を両親が心配し、強くなってもらいたいと薦めてくれ
たからです。ただ当時は、技も、教えも、よく理解ができないまま、先生や先輩方の姿を、見よう見
まねで追いかけていたように思います。それでも徐々に身体は強くなり、自信も少しは持てるように
なった頃、年下の子たちが困っていれば、率先して声をかけられるようにもなっていきました。学校
生活でも、積極的に行動できるようになりましたが、中学校に入ってから部活動に専念するため、少
林寺拳法をやめてしまいました。
年月を経て社会人になり、私は自身の理想と現実のギャップに悩む日々が多くなりました。“いまの
自分から変わりたい、もっと成長したい”・・・そんな思いを抱きつつも、何から始めたらいいのか
わからず、きっかけも掴めないまま、悶々と過ごす日々が続きました。そんなある日、姉が、「あな
たには何か追及できる『道』のようなものがあった方がよいのでは?」とアドバイスをくれました。
咄嗟に頭に浮かんだのが、少年時代に自信と勇気を育ててくれた少林寺拳法でした。当時の助教の先
生が開いている道場が職場に近いことがわかり、昨年の11月、再び少林寺拳法の門を叩きました。
久しぶりに学ぶ少林寺拳法の教えは、子どもの頃とは違う視点で理解ができ、驚きと感動を覚えまし
た。特に、「自己確立」と「自他共楽」の教えには、あらためて感銘を受けました。子どもの頃の
「自己確立」は、単に身の回りのことを自分でできるようになればいいんだと、今思えば安易に考え
ていたような気がします。社会人になって間もない頃、仕事や職場の人間関係につまずき、心と体の
バランスを崩した時期がありました。心が荒み、自暴自棄に陥り、気持ちが際限なく落ちて行きまし
た。誰かにこの苦しみをわかってもらいたかったし、救ってほしかった。でも、他人には理解はでき
ても救うことはできない。自分自身が覚悟を決め、行動を起こすことでしか道は拓けないし、取り巻
く世界は変えられないという「自己確立」の教えとこの時の経験が重なって、今では実感を伴って理
解できる気がします。
また「自他共楽」に関しては、教えの考え方に対し世界各地で起きている現実との違いに、日々考え
させられます。便利が行き過ぎた個人主義や、SNSなどに見られる無責任で思いやりのない言葉が
溢れる世の中は、まさに人間関係の分断が起きていると感じます。主張を押し通し、他人を傷つけ、
そこに罪悪感のかけらもない。他者への思いやりや想像力が欠如したこの時代に、私たちは「自他共
楽」の教えをどう実践してゆけばよいのでしょうか。
私は確信をもって思うことがあります。大人になって久しぶりの修練で、先生のみならず、先輩拳士
が後輩拳士にお手本を見せ、教えたり、困っている姿を見たら当たり前のように声を掛け、援けてあ
げる姿に、驚きと懐かしさを覚えました。少年拳士の時代に、両親を始め、道場の先生や先輩方に大
切にしてもらった暖かい人間関係の記憶が、今の自分を作ってくれている。そして、今も背中を押し
てくれていると感じました。
今は、あらためて学び直しを始めた段階ではありますが、少しずつでも、自分も誰かを大切に思い身
近なところから暖かい人間関係を作ってゆきたいと思います。そしてもっと強く優しい人になるため
に、現実にひるまず立ち向かい、自分に負けない強い心、そして誰かを当たり前に想い、手を差し伸
べられる優しさを、この時代を共に生き、共に修練に励む仲間と育んでゆきたいです。